鎌倉幕府は良い国(1192)じゃなくなった!良い箱(1185)作ろう鎌倉幕府!?

変わる日本の歴史 雑学

昭和の子供たちが習った歴史年表。現在の子供たちが習っている歴史と違うって本当?あんなに必死に覚えさせられた知識はなんだったのか(もう忘れちゃったけど)。 これでは自分の子供に教えられないじゃないか。 そんなわけで歴史の”今”と”昔”の違いを少し調べてみました。

「1192(良い国)作ろう」ではなく、「1185(良い箱)作ろう」鎌倉幕府!

現在、鎌倉幕府の成立年については、頼朝が東国支配権を樹立した治承4年(1180年)、事実上、東国の支配権を承認する寿永二年の宣旨が下された寿永2年(1183年)、公文所及び問注所を開設した元暦元年(1184年)、守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された文治元年(1185年)、日本国総守護地頭に任命された建久元年(1190年)[2]征夷大将軍に任命された建久3年(1192年)など様々な意見が存在する。 wikipediaより

昔は「源頼朝」が征夷大将軍に任命された年を「鎌倉幕府の成立」としていたけど、現在は 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡し、守護・地頭の任命が許可された1185年を鎌倉幕府が成立した年としているんですね。 鎌倉幕府の成立年は未だ議論が起こっているようですから、今後も年号は変わるかもしれません。

「聖徳太子」って本名じゃないの?え?「厩戸王(うまやどおう)」?

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日574年2月7日) – 推古天皇30年2月22日622年4月8日))・厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ[1])は、飛鳥時代皇族政治家。「聖徳太子」は、後世の諡号wikipediaより

”日出処の天子”という聖徳太子が主役の漫画があるのですが、確かに主人公は一度も「聖徳太子」と呼ばれることはなく、「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と呼ばれていましたね。 私はこの漫画のおかげで聖徳太子が「厩戸」という名だった事を知っていました。 大事!漫画知識! ちなみにこの漫画は”あさきゆめみし”と並んで、歴史の勉強にとても役立ちましたが、主軸のストーリーは厩戸(男)が蘇我蝦夷(そがのえみし・男)に恋をしたために起こした様々な不思議現象のお話です。 蘇我蝦夷は父親の「蘇我馬子」や息子の「蘇我入鹿」に挟まれて、歴史に文献も少ないため、漫画にしやすかったとか。

華奢な美少年の厩戸皇子が見られるのは山岸涼子先生の「日出処の天子」だけ!

ペリー「開国して下さ・・・」幕府「鎖国なんてしてないよ!」

一般的には1639年寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。しかし、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降で、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である[2]wikipediaより

徳川幕府が鎖国に踏み切った決定的な事件は、1637年(寛永14年)に起こった島原の乱です。徳川幕府はキリスト教の禁止と貿易は別問題と考えていましたが、この事件をきっかけに、ポルトガルに開放していた出島も閉鎖しました。 しかしこれは島原の乱から2年後のことであり、関連性は不明です。 空き地になった出島は「キリスト教を布教しない」ことを条件にオランダが使用しています。 田沼意次や松平定信がロシアに 長崎への入稿許可証を与えていたことや、 幕閣の中で「鎖国」という言葉が初めて用いられたのは 1853年という説もあり、歴史の教科書から「鎖国」という言葉が削除されることとなった様です。 こちらもまだ研究中の歴史で、いつか復活するかもしれませんね。

まとめ

現代の研究によって、新たな事実が判明するにしたがって、歴史はどんどん変わっていきます。 学校で習ったことは無駄になったのか?と結論を出すこともできますが、勉強することが無駄だとは私は思いません。 「学校の勉強」は、知識をつけることではなく、「勉強する」ことへの訓練だと割り切るしかなさそうです。

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